地震からちょうど一年が経った。地震後すぐに出版した『熊本地震体験記』では、地震当日のことから、避難所生活のこと、避難所からの移住、GWでのボランティアとの片付けなどについて書いた。ここからは、その後に起こった出来事について書いていく。地震では家屋や建造物の被害に注目が集まるが、その影響からその後に身に降りかかる災難もまた未体験で想像を超えていた。
病気を抱えた母と、地震の影響があり車椅子生活になっている父には避難所暮らしは無理だと思い、地震から1週間後に、姉の娘の家に移住させてもらいました。
岐阜県の不破郡というのどかなところです。山に囲まれ田畑が見渡せる景色は益城町に似ていて、両親もなじみやすそうだと思いました。
部屋は二階にあり、まだ使っていないというだけあってフローリングでとてもきれいな部屋でした。20畳以上はあり、ゆったりした生活ができそうです。姉も同居できるので、とりあえずこれで生活環境が確保できると安堵しました。
しかし、この安堵はつかの間でした。
震災時の転倒で足腰が弱くなっていたようで、父が夜トイレに行こうとした際に転んで尻餅をついてしまい、それから起き上がれなくなってしまいました。
いつもはカーペットか畳の部屋での生活だったので、すべすべのフローリングと新品のスリッパに慣れていなかったせいでした。普通の人なら問題ないことですが、高齢者にはもっと注意を払う必要があったということです。
近隣の病院で診てもらったら圧迫骨折との診断で、即入院になってしまいました。
1か月の入院で治ったとのことだったのですが、依然として起き上がることはできないまま退院させられました。それで役場に相談したところ、ケアマネージャを付けてくれました。役場は、熊本地震の被災者ということで、とてもよくしてくれたそうです。
ケアマネージャの口利きで、隣町の介護施設に入居することになりました。そこはショートステイの介護施設だったのですが、長期でも対応してくれるとのことでした。
母は、震災の前からリンパの病気があることがわかっており、熊本の日赤で治療方針を決めようという面談予定日に被災したのでした。
岐阜に移住後は、日赤も被災していたのでなかなか情報が来ず、転院までに1か月以上かかりました。
やっと大垣市の大きな病院で診てもらったところ、熊本での見解と違い、危険な状況とのことで急ぎの治療を勧められました。震災や環境変化によるストレスで病状が悪化したようです。
治療には入院が必要で、半年から1年くらい要すとのことでした。
なんと、両親ともに入院という思いもしない状況に陥ってしまいました。
父は週1回の病院での診断が必要なので、介護施設から車で運びました。最初は、車椅子から抱えあげて車の座席に移動していたので、二人がかりでの対応が必要で大変でした。しかし、車椅子ごと電動で搭乗できる福祉車両レンタカーの存在を知ってからは、一人で対応できるようになりとても楽になりました。
料金は普通の車とさほど変わらないので、知っておくと便利だと思います。
父にはリハビリが必要だったので、ケアマネージャの助けも借りていろいろ探したのですが、空きがなくなかなか見つかりませんでした。病院か介護老人保健施設(老健)をあたったのですが、病院からは入院中でないとむずかしいと言われ、老健は空きがないという理由でだめでした。結局、病院に頼んで週1回の通いでリハビリを受けることにしました。しかし、週1回では目に見える改善には至りませんでした。
後で聞いたことですが、老健など地域の福祉施設は納税してきた地元の人を優先するようで、納税歴のない移住者の優先順位が低くなる傾向があるようです(制度ではないと思いますが)。
このことを思うと、移住したことが本当によかったのかと考えてしまいます。当時は、避難所にこれ以上居ることはできないと思ったし、県内の施設も被害を受けていたので、受け入れはむずかしいだろうと思っていました。
むずかしい問題ですが、移住する前に熊本県内の福祉施設などを探してみる努力は必要だったのかも知れません。