4月18日〜20日
避難所では、高齢者の方々が日々のトイレや睡眠などで苦労されていた。父も転んでけがをしてしまった。避難所生活は高齢者には酷だと思う。ここでは、避難所からの移転と、それに伴う実家での作業をお伝えする。
父は足が不自由だったのですが、この震災でさらに悪くなり、トイレも一人ではままならない状況になりました。一晩に何回もトイレに行くのを手伝っていて、一刻も早く避難所から出る必要があると思っていました。
実家に戻れれば一番いいのですが、前述したように、とても住むことはできない程に損傷しています。
岐阜の娘の家に行っていた姉から、すぐ入れる部屋が1つ空いているからここに来ないかという提案がありました。姪夫婦と姪の義母が、両親のことを気遣ってくれた、ありがたい提案でした。自分が住む東京の部屋に連れてくるのは、手狭で現実的ではなかったので、その案でお願いすることにしました。
姉は、高速道路の一部がまだ不通の中、車で岐阜から来てくれて、一緒に説得することになりました。しかし案の定、両親は住み慣れた、そして知り合いが多い故郷を離れるのには抵抗があり、説得には時間がかかりました。一番の理由は、もうここに戻って来られないと思ったことだったそうで、一時的な避難でまた戻って来られることを丁寧に説明したら、わかってくれました。
ただ、数日とは言え、避難所の中ではすでに隣近所のコミュニティーができていて、母はまだ居続けなければならない周りの方々に申し訳ないと言っていました。私も3日間お世話になったわけですが、隣のおばあちゃんとよく話す間柄になっていて、自分が東京に戻るときには申し訳ない思いを経験しました。