今回は2017年1月~2018年3月に起こった出来事を記録する。(地震では家屋や建造物の被害に注目が集まるが、その影響からその後に身に降りかかる災難もまた未体験で想像を超えていた。私事ながら、あまり報道されていない面もあるので、皆様の参考になればと思う)
地震から9ヶ月が経過した段階ですが、益城町のがれきの撤去は幹線道路の周りでもまだ倒壊家屋が放置されている有り様で、心が痛くなりました。実家の周りの細い道路では倒壊した家のがれきが雪崩をうっていて、通るのに危険を感じるほどです。せめて、通学路くらいは最優先で公費撤去をしてほしいと思いました。
2016年7月に「益城町復興計画」が発表されました。以下が、その基本理念の抜粋です。
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(益城町震災復興基本方針、2016年7月6日より引用)
●住民生活の再建と安定
被災者が安心して快適に暮らせる住環境を一日も早く実現するために、住宅再建への支援や災害公営住宅等の建設を行うなど、安全・安心な住環境づくりを進めます。あわせて、被災者の暮らしに必要な生活機能や教育環境、保健、医療、福祉の体制の確保・充実に向けた取組や、被災者の心のケア等も進めます。
●災害に強いまちづくりの推進
今回の震災の教訓を踏まえ、単に震災前の町の姿を復旧するだけではなく、「住民の命を守る、災害に強いまち」の実現に向けて、新しい視点でまちづくりのビジョンを描き、防災上必要なインフラ整備等を進めます。
●産業・経済の再生
甚大な被害を受けた農業、商業、工業等の各産業が、早期に復旧し、雇用を維持すると共に活力を取り戻すための取組を進めます。また、熊本都市圏東部の交通要衝に位置する地域特性を生かし、産業拠点のまちづくりを推進します。
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うちの実家も整備対象エリアに入っており、この計画が実施されると道路が新設されるなどの影響で敷地面積の変更の可能性があります。それで、役場が主催する説明会で話を聞きました。
実家に入る道はもともと3m程度と狭く、緊急車両の出入りに不安があったので私は基本賛成でした。ただ、大規模復興整備よりいまの生活環境の復旧を急ぐべきだという反対派もいて、議論があるようでした。
私が生まれ育った益城町木山には、古くから伝統の「初市(はついち)」があります。毎年3月に行われ、瀬戸物や植木や雑貨などの青空店舗が通りに立ち並び、飴や駄菓子、金魚すくいなども出て祭りのような様相です。子供の頃、楽しみにしていたのを思い出します。
復旧はまだ道半ばなので開催が心配されましたが、いつもの街並みではなく避難所だった町営体育館で開催され、多くの人で賑わっていました。
一番人気は木山名物「いちだご」。
祭りや催事は、こういうときに皆を元気にする力があるのだ、と改めて思いました。
納骨堂は前に書いたように全壊状態だったのですが、やっと解体のめどが立ったとのことで、中の遺骨を取り出せることになりました。
うちは両親の祖父母の遺骨が安置されています。母が取り出しに行ったのですが、重機が屋根を支えている間に、ヘルメットを着けて自己責任で取り出すという危険な作業だったようです。幸い、うちの遺骨の場所は天井が崩落しておらず、どうにか取り出すことができました。ただ、そのすぐ後に天井が下がってきたとのことで、それ以降の人は取り出すことができなかったそうです。無念だったことと思います。
このWebの原著「熊本地震体験記」の売上の一部はチャリティーとして、熊本のために寄付することにしていました。3月には、それを益城町に寄付するために帰郷しました。
木山出身ということもあり、西村町長に直接手渡しで受け取っていただけました。地元の新聞社も取材に来てくれて、記事にもしてもらえました。
その際に町長から聞いた話ですが、益城町体育館は写真のように最初の地震でかなりの被害を受けていたそうです。それを、人海戦術で急ぎ取り除き避難所として使うことができたとのことでした。私は当時、体育館の隣の施設に1週間ほど避難していたので体育館も見ているのですが、そんなこととは知らず、驚きました。
せっかく帰郷したので、熊本市内の書店も訪問してきました。長崎次郎書店、長崎書店、蔦屋書店など大型の書店をまわったのですが、どのお店も地震関連のコーナーが一番目立つ場所に作ってありました。私の本も置いていただきありがとうございます。