避難所生活

4月16日朝〜19日
救援に来たつもりが、何と、自分も避難者になってしまった。ここでは、本震後の避難所生活の様子をお伝えする。

●コミュニティーができてきた

緊急時ではコミュニティーが大事

 さすが田舎の人たち、避難所ではいつもみんなで助け合っていて、そこかしこにいいコミュニティーができていました。足の不自由なお年寄りが多いのですが、身内以外の人も手助けしてくれています。食料のお裾分けは日常茶飯事で、隣のおばあちゃんは、私にまでバナナを勧めてくれました。


 大声を出す人や争いごとなどは、少なくても私が居た間は見ていません。食料や水が枯渇しなかったのも功を奏していたと思います。

 この避難所では、少ないけど、寝床に犬を連れてきている人もいました。犬も吠えないし、しつけはちゃんとしていたので周りからの非難は出ていませんでした。その後、ペット同伴用の避難スペースができるとの案内があったので、おそらくそちらに移られたと思います。

 消灯の時間も、日を追うごとに何となく決まってきて、9時に少しだけ残して消して、10時には全部消すような感じです。誰が係という決まりがあるわけでなく、子供が「消していいですかぁ」と声をかけて消そうとしたときには、「いいでーす」とみんなで返事して、微笑ましく思いました。


 ゴミの分別については、この歳になって母にまた教わることになりました。最初はゴミが分別されておらず、生ゴミもペットボトルも缶も混ぜこぜに入れられていたのですが、母が自分でビニール袋を持ってきて、手で分別し始めたのです。私は、そんなことは係の人がするからと言って止めようとしたのですが、後で見てみると、母の分別した通りにみんなが分別してくれており、その後もずっと継承されていました。私は都会ずれしていて、こういうときは気づいた人がやるものということを忘れていました。